2021年2月12日 谷国定神父メッセージ

大宮教会の皆様

 寒い日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 コロナ禍が起こってから、一年経ちました。コロナはたくさんの人の命を奪い、私たちの健康と生活に影響を及ぼしています。コロナで、私たちは信仰活動や生活のリズムが崩れていることを認めざるを得ません。
 今日に至るまで、コロナへの対応に当たって、政府は「緊急事態宣言」を3回発表しました。私たちのさいたま教区では、コロナに対する教区の対応のお知らせが16回公示されました。16回のうち、3回は公開ミサ中止に関する公示でした。コロナが起こる前には、私たちは公開ミサ中止を体験したことがありませんでした。
 振り返ってみると、昨年私たちは灰の水曜日のミサに与れましたが、復活祭をお祝いすることが出来ませんでした。というのは、灰の水曜日の翌日から、公開ミサを中止するように教区からの指示がありました。昨年と違い、今年は教区からの第16次の対応に従い、灰の水曜日のミサを行うことが出来ません。信心深く、熱心な方々にとっては、公開ミサ中止は喜ばしくないことでしょう。
 2021年2月5日付のコロナへの教区の対応(第16次)の中で、司教様は次のように述べておられます。「長く続くこの試練の中で、すべての人のいのちを守るために働くことは神様から託された大切な務めであることをよく理解し、協力を続けてくださる皆様に感謝しつつ、ご一緒に努力を続けられることを願っています。」
 今年は灰の水曜日を含めて、四旬節の何回かミサに与れませんが、司教様の呼びかけに応えようとする私たちはすべての人のいのちを守ることを意識しながら、共同体との交わりをもって、四旬節の精神を生きることが出来るのではないでしょうか。
 どのように四旬節の精神を生きることが出来るでしょうか。
 ご存じの通り、灰の水曜日をもって、四旬節が始まります。灰の水曜日に朗読される福音の中で、イエスは私たちに四旬節の精神を明確に述べられました(マタイ6・1-6、16-18)。それは断食と祈りと施しの精神です。
 断食をすることによって、私たちはイエスに従い、自己放棄の精神を意識することが出来ます。お祈りをすることを通して、私たちは神との親しい関わりを持つことが出来ます。施しを実行することによって、私たちは自分の心を開き、他人の苦しみや悩みと共感することが出来ます。
 断食と祈りと施しは別々なことですが、四旬節の精神に繋がっていますので、切り離すことはできないのです。2021年の四旬節のメッセージの中で、教皇フランシスコは次のように述べておられます。「イエスが言われた断食と祈りと施しは私たちの回心の条件であり、私たちの回心のしるしである。」
 回心とは過ちを避け、罪を放棄することだけでなく、神に立ち返ることです。神に立ち返ることによって、私たちは神のみ旨に背くものを捨てることが出来るでしょう。四旬節には、日常生活の中で神から離れて生活したり、いろいろなことで、まだ神と親しくなっていなかったりするなら、神に立ち返ることが必要でしょう。
 聖パウロは私たちに神と和解するように呼びかけています。「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」(二コリント5・20)神と和解することを通して、私たちは神からのゆるしの恵みを得て、他人を赦す心を持つことになれるのです。
 私たちは四旬節の精神を生きますが、四旬節に止まるのではありません。言い換えれば、私たちは四旬節の精神を生きながら、復活祭の光に照らされる希望をもって、歩んで行くのです。復活祭に向かう四旬節の旅には、絶望ではなく希望が満ちています。四旬節とは私たちの信仰を改め、神における信頼を深める節です。
 どうか、この四旬節に神に私たちの生活に入って、私たちと共に留まっていただきましょう。神が私たちと共におられるなら、この四旬節は私たちにとって、きっと希望と恵みに満たされる節となるでしょう。

カトリック大宮教会
主任司祭 谷 国定