2020年6月14日 谷国定神父メッセージ

2020/6/14 キリストの聖体(ヨハネ6・51-58)

先週の主日に、私たちは三位一体の祭日をお祝いしました。本日、私たちはキリストの聖体をお祝いします。三位一体の神秘において、愛のつながりの中で、神は働いておられます。イエスの残された聖体の秘跡において、私たちに対するイエスの愛が示されます。この秘跡を通して、イエスは弟子たちと約束されたように世の終わりまで、いつも私たちと共におられます。

この主日に朗読される福音では、イエスはご聖体の秘跡とその秘跡の効果について、はっきり述べておられます。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6・54)。

1.イエスの肉と血

イエスの肉と血とはイエスの全身のことです。すなわち、イエスご自身には、神性と人性があります。神性では、イエスは神の御独り子として、この世にお生まれになりました。「わたしは、天から降って来た生きたパンである」(ヨハネ6・51a)。人性では、イエスは私たちと同じように身体と霊魂を持っておられます。イエスはご自身を食べ物として私たちに与えてくださいました。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」(ヨハネ6・55)。

ご聖体を拝領するときに、私たちは神性と人性を持っておられるイエス、人間となられた神の御独り子であるイエス、苦しみを受けて、死んで、復活されたイエスを心に迎え入れるのです。このイエスを拝領することによって、私たちはイエスと強く結ばれて、イエスの約束されたように、永遠の命を得て、終わりの日に復活します。言い換えれば、イエスを信じ、イエスの肉であるご聖体を拝領して、イエスと強く結ばれるなら、私たちは死を乗り越えて、確保された永遠の命を得ることが出来るのです。

ユダヤ人たちはイエスの言われたことを聞きましたが、それを信じていませんでした。一般的に考えてみれば、イエスご自身は私たちのために、食べ物となりえないでしょう。私たちがそれを信じて、受け入れることが出来たのは神が与えてくださった信仰のおかげです。イエスご自身が私たちの食べ物となることは神秘です。ですから、私たちはそれを理解しようとしても、理解しきれません。ミサの中で、司式司祭はパンとぶどう酒を聖別し、イエスの唱えられた言葉を同じように繰り返して、ご聖体と御血を高く上げてから、「信仰の神秘」と唱えます。信仰がなかったとすれば、私たちはイエスが私たちのために食べ物となってくださることを受け入れることが出来ないでしょう。信仰を与えてくださった神に感謝いたしましょう。

2.神の民の救いの歴史における出来事

過越祭はユダヤ人にとってとても大切です。この祭りは主の過越を記念します。その日に、彼らは子羊の血をとって、家の入口の二本の柱と鴨居に塗りました。血を家の入口に塗ったことによって、彼らの初子が救われました。子羊の肉を食べた彼らは力付けられて、エジプトから出る旅を準備して、「約束の地」へ向かって行きました。主の過越のおかげで、イスラエルの民はエジプトにおける奴隷生活から解放されました。

同じように、十字架上で流されたイエスの血によって、私たちは罪の奴隷の状態から解放され、神の恵みの中で生活することが出来ます。イエスの肉と血を含むご聖体を食べる私たちは霊的に力付けられ、天に向かって歩む旅を続けられます。イエスの肉と血は十字架上でいけにえとして捧げられました。イエスはご自分の命までを捧げて、人間を救って、今日にも私たちを養ってくださいます。御独り子の命が犠牲にされたことによって、たくさんの新しい命が出て来ました。

3.私たちのことに配慮して下さるイエス

朗読される福音において、イエスは「永遠の命を得る」と「永遠に生きる」をよく強調しておられます。永遠の命は神から由来します。神のほかに、永遠の命がある者はいません。永遠の命を持っておられる父である神によって、イエスは生きられます。そして、イエスを食べる者もイエスによって生きます。「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる」(ヨハネ6・57b)。

ご自分が私たちのために食べ物となられたことはイエスの優れた発想であり、私たちに対する一方的な愛です。私たちのことに配慮しなかったとすれば、イエスはわざわざご聖体の秘跡を確立されなかったでしょう。イエスは私たちが生きるばかりでなく、永遠の命をも得て、永遠に生きることを望んでおられます。

私たちは聖体訪問をしたり、ミサに与ったりするときに、イエスに出会います。特に、ご聖体を拝領する度に、私たちはイエスを自分の心に迎え、イエスが私たちの心におられて、私たちと共に歩んで行かれることに気づいていることを黙想できればと思います。

カトリック大宮教会
主任司祭   谷 国定