2020年5月17日 谷国定神父メッセージ

2020/5/17 復活節第6主日(ヨハネ14・15-21)

本日読まれる福音では、最後の晩餐の時に弟子たちへのイエスの残されたことばが記されています。弟子たちとの親しい関係をもつイエスはご自分がまもなく彼らを肉体的に離れることを知り、お望みを述べられました。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハネ14・15)。

それが弟子たちへのイエスの遺言だと言えるでしょう。ですから、弟子たちにとって、そのことばはとても貴重なのです。イエスと共に福音宣教するときに、弟子たちはイエスが神の国と福音について述べて、いろいろな奇跡を行われたことを直接聞いたり、目撃したりすることが出来ました。ことばと行いを通して、イエスは人間に救いの恵みをもたらし、人間に対する神のいつくしみや共感や愛を示されました。

共観福音書の特徴は、私たちが神の国に入るように招かれることです。一方、ヨハネ福音書の特徴は、私たちが神の愛に参与するように呼びかけられることです。どちらにしても、私たち一人一人のことに配慮してくださる神は、私たちが神のそばに近づき、私たちに対する神の一方的な愛に与ることを望んでおられます。

ご存じのとおり、選ばれた12人の弟子たちの中で、ヨハネはイエスに一番愛された人です。弟子たちとの最後の晩餐の時に、イエスはヨハネだけにご自分を裏切ろうとする人を合図でお示しになりました(ヨハネ13・26参照)。イエスが十字架につけられたときに、他の弟子たちは恐れて逃げてしまいましたが、ヨハネはイエスの十字架のそばに立っていました。勇気があったからか、恐れたからかはわかりませんが、イエスによく愛されて、その愛に答えた彼は、どんな状況やどんな試練に置かれても、イエスと共にいることを望んでいたのではないでしょうか。イエスへの愛がなかったとすれば、彼は他の弟子たちと同じように逃げてしまったに違いないのです。愛があったからこそ、恐れや自分の安全よりも、イエスを大切にした彼の姿がはっきり見られました。

イエスの愛をよく実感したヨハネは福音書を通して、新型コロナウィルス感染症の世界的な流行に直面し、不安の中で日常を過ごす私たちに対するイエスの配慮と共感と愛を伝えています。イエスの愛を実感できた彼が、自分だけのものにしないで、私たちに伝え、その愛に与るように呼びかけているのです。

日々の生活において、私たちはヨハネのようにイエスの愛を実感できていないかもしれませんが、イエスの愛を多少いただいたことがあるでしょう。家庭の幸せや健康や寿命や才能や平穏な生活などは、私たちへのイエスの愛の恵みと理解されています。

本日の福音の中で、イエスは「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と述べられています。私たちはイエスの言われたことばが厳しいと感じるかもしれません。しかしながら、イエスが私たちに残された掟はどんなものでしょうか。それは「愛の掟」です。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15・12)。それゆえ、イエスの話されたことを聞いたり、イエスの行いを見たりするのではなく、イエスと共に歩み、イエスと共に行動し、イエスのように他人に対する思いやりのある心を持つことは大切です。

昨日、さいたま教区の山野内司教様から「『試練の時』にあって」という呼びかけのメールが届きました。司教様は苦境の中にいる人々を心配して、彼らの生活に少しでも希望の光が射すように、共に考え、共に働き、力を合わせて歩むよう私たちに呼びかけておられます。

この間の金曜日のニュースの中で、ある子は喜んで、母親と一緒にマスクを作って、人々に寄付しました。確かに、それは人々の健康に対する思いやりと人々への愛を現した行いです。寄付した人も受けた人もどれほど喜んでいたことでしょう。

本日の福音を通して、イエスは私たちにどんなことを問い掛けてくださるでしょうか。次のようなことを提案したいと思います。その中の一つを選んで、ゆるされる限り時間を取って、黙想するようお勧めいたします。

・日常生活の中で、イエスへの愛をどのように示していますか。

・どんな時に、イエスの存在を意識したり、実感したりしますか。

・自分の心の中で、イエスへの愛はどんな位置を占めていますか。

                            カトリック大宮教会
                            主任司祭 谷 国定